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"女性が社会運動すればするほど女性が不自由になっていくんですよ。だからあれとっととやめてほしくて。だってもともと自由なんだから。社会と関係なく自由でいればいい。世界は楽しいじゃん、ってずっと思ってるんです。"

大森靖子×峯田和伸(銀杏BOYZ)対談 (3/4) - 音楽ナタリー Power Push

男性優位社会的な感覚を内面化してる様な女性でないとメジャーデビューできないんですかね。今まで無善寺でライブしてた女性ミュージシャンがメジャーデビューするなんて夢がある話だと思ってたけど、夢もチボーもありませんね。

https://twitter.com/hrk/status/513235601122803713

社会がどんなに悪くても考え方次第なんだから状況のせいにするな、みたいなことをいう大人って昔からいるわけなんだけど、状況によって苦しめられる人に共感できなかったり、たとえ負けても状況と戦うという想像力のない人間がやる音楽に広がりなんてあるはずないと思います。

https://twitter.com/waniwave/status/512598914445225985

基本姿勢として「感覚を信用しない」というのがあるんですが、ほら感覚ってさ、すぐ騙されたりするし、日々の体調によっても左右されるわけで、そんなものよりも大切な基準を設けないと我々人類が幾万年にもわたって積み上げてきたものがゼロになっちゃうんですよ。

https://twitter.com/waniwave/status/512604645848395776

最近体調崩してて、病気でして、咳が一ヶ月ぐらい止まんないし、鼻水ダラダラだし頭痛も酷くてずっと家で寝てるわけで、相変わらず金もないし闘争心とか皆無なんですけど、そんな俺が一気に戦闘状態になる凄まじい対談だった。もちろん悪い意味で。

https://twitter.com/waniwave/status/512605373551751168

自分の皮膚感覚を信用するから「女性の迷惑なので田嶋陽子は政治活動をやめてほしい」とかいう明らかに自分の埒外のことを偉そうに言える。他人に生業をやめるように要請しておいて、根拠は「楽しく生きれば楽しいから」みたいな、あまりにぼんやりとした「感覚的」な理由だ。

https://twitter.com/waniwave/status/512606663782588416

(via chptr22)

(via okadadada)

"これ日本人にとっては不思議に思えるけど、色々と複雑な事情があるんだよ

アメリカ式の自由なテレビ放送を受け入れた日本と違ってヨーロッパはテレビ放送が長らく国営に限られてた
80年代に入ってから次第に民放チャンネルが出来てきたんだけど、
番組を自作する力が無い上にアメリカ製の良コンテンツは国営放送が独占していて、契約料も高くて手を出す余地が無かった
そこで当時放送事業に進出し始めていた、イタリアのあのベルルスコーニが目をつけたのが日本のアニメ番組
契約料が安いしアメリカの作品並に質も高かったから

その後ベルルスコーニが他のヨーロッパ諸国の放送局も買収してイタリアでの日本アニメ成功の流れが波及して、
フランスやスペインでも日本アニメがどんどん放送されて人気を得るようになる
その中でスペインでは立場の弱い地方局が日本アニメを積極的に買い付けて地方言語に吹き替えるようになって、
結果としてフランコの独裁政権下で追いやられていた地方言語の復権に部分的に寄与した
言語の継承において一番大切なのは子供に受け継いでいくことだからね

だから子供の頃日本アニメの吹き替えで自民族の言葉に親しんだ世代にとって、
クレヨンしんちゃんら日本のアニメキャラはナショナリズムと密接に結びついてる
外国製のキャラクターがシンボルになってるのは本当に奇妙だけどね

去年同じスペインのバレンシア州で地元テレビ局が強制的に閉局された際に起きたデモでも
「私たちは悟空からバレンシア語を教わった」とドラゴンボールの悟空の絵を掲げている人達がいた
"

日本人にとっては不思議に思えるけど、色々と複雑な事情があるんだよ : 2chコピペ保存道場 (via noboko)

(via okadadada)

leoat:

1410873869378.gif
krkmic:

1389610523518.jpg
"

おそらく一生忘れられない
両親のセクースの話で恐縮なんですが・。 20年くらい経った今でも、昨日のようの
ことに思い出します。

少学5年の夏休みが終わりの頃でした。 いつものように飯を食って風呂に入って
一旦寝たんですが、なんか夜中1時頃になっても寝つけませんでした。で、何か
食おうかなと思いつき、1階の居間に行くことにしました。

階段を降りかけたところで、両親の寝室のドアが5センチくらい開いていて、何やら
騒がしい(?)声が聞こえました。

俺は、既に何回も、声と気配を感じたり目撃していたため、ある意味(?)
慣れていました。 時には、部屋に帰ってオナーニのおかずにしていたので。(笑)

だからその時も、 「あ、またヤってるのかな。でもドアしめろよな~ !」と、半分ムカ
ツキながらも、いつものようにスケベ心がムクムクわいてきたので、抜き足差し足で
ドアの隙間に近寄り、息を潜めて、中のようすをうかがいました。

この日は、月の光がとても明るくて、部屋の中はわりと鮮明に見えました。

ベッドの上で、パジャマ姿の父が、あお向けに寝ている母に覆い被さるように
していました。 セクースする前かした後かはわかりませんが、抱き合っていました。
何故か母はすすり泣いていました。 そんな母を父は抱き、キスしたり頭を撫でながら、

「大丈夫や。 何も、心配すんな。○○(俺)も○○(妹)も、ええ子やから。」
「俺がついとるから、何も心配すんな。大丈夫、大丈夫。 愛してるから。待っとるから・・」
「心配すんな○○(母の名前) 愛しとる!俺がついとるから! 」 などと、大きな声で語り
かけていました。 

やたらと 「大丈夫」とか「心配すんな」を繰り返す父に、俺は何か、いつもと違う雰囲気を
感じていました。 なんか、切羽詰った雰囲気でした。

その後、母が半分叫ぶように、
「○ちゃん(父の名前)、私怖い・・!嫌や~。お願い、ずっと抱いてて!怖い!」と
言いました。そしたら父が、
「アホ!おまえがそんな弱気でどうする!絶対戻ってこような、大丈夫やから!」と
叫ぶように言い、なんか、父まで泣き声ぽくなってきて、二人で抱き合って大泣きし
はじめました。

俺は唖然としましたが、目が話せなくてそこから動きませんでした。

しばらくしたら、母の泣き声がなんか喘ぎ声ぽくなってきて、フッと見ると、いつの間にか
パジャマを脱いだ両親がヤってました。 父は何度も母の名前を呼び、今まで見た事も
ないような優しいしぐさと声で、母を愛撫していました。 母は喘いでいるだけでなく、
やっぱり泣きつづけていました。

「絶対直るから。絶対良くなるから。俺がついてるから! がんばって治そうな。
正月になったら、また○○(俺)と○○(妹)とお前で、グアムあたり行こうか!なぁ!」

と、父が母に語りかけました。

その時になって、俺は母が何か病気かケガをしていて、ちょっとヤバイ事になってる
のだということを、初めて知りました。母ちゃんヤバイんか? どんな病気なんや?
何なんだ一体!! と、激しく動転しましたが、俺は何故か一歩も動けず、声も出せ
ないまま、両親をそのまま見ていました。

そうこうしているうちに、母がいつのまにか父の上に乗り、腰を動かし始めました。
ふとんがほとんど剥がれていて、揺れるオパーイが月の光で丸見えでした。
母は泣いているようにも笑っているようにも見えました。

「○ちゃん(父)と結婚して、私とっても幸せや・・。」 みたいな事を、母は言いました。
何故かその言葉で、俺は、勃起しながら泣いてしまいました。
その後、どのくらいその場にいたか覚えてませんが、気付いたら俺は自分の布団で
泣いてました。 その夜は、結局一睡もせずに終わってしまいました。

その翌日、ばあちゃんが家にきました。 母は、「お母さんしばらく病院いくから、ばあちゃんに ご飯つくってもろてね。」みたいな事を、普通に明るく言い、病院に行きました。 
俺は、頭が真っ白になりました。妹は全然わからないみたいで、「いってらっしゃーい!」と
元気に送り出しました。 

母は、そのまま入院し、11月に亡くなりました。 末期の膵臓ガンでした。38歳でした。
父は、男手ひとつで俺と妹を育てあげ、妹を嫁に出した4年前、母のところに行きました。

俺は今、嫁さんとこの家に住んでます。 心なしか、両親の寝室(今はほとんど物置(?)
に行くと、嫁さんとケンカしていても、優しい気持ちになり、すぐに仲直りできる感じがします。
嫁さんもそう言ってます。

"

ある愛のものがたり - コピペ運動会 (via gkojax)

(via zenrahanra)